任天堂の岩田聡社長が逝去、海外のファンからも悲しみの声…海外の反応

任天堂は13日、社長である岩田聡氏が2015年7月11日に胆管腫瘍で亡くなったと発表した。岩田聡氏は1959年、札幌市で生まれ、55歳だった。2002年、代表取締役社長に就任してから「ニンテンドーDS」や「Wii」などを世に送り出し、任天堂の成長を牽引した。

 

代表取締役社長の逝去および異動に関するお知らせ(訃報)

 

 岩田氏は、東京工業大情報工学科卒業後、ゲームソフト制作会社ハル研究所に入社。同社社長を務めた後、2000年に当時の故山内溥社長に誘われ任天堂に入り、取締役を経て02年5月、42歳の若さで社長に就任した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150713-00000025-jij-bus_all

以下、海外の反応。

 

 

・嘘だろ…

 

・悲しすぎる…病気だったってことも知らなかった…

 

・これから任天堂はどうなってしまうんだ。

 

・まだ55歳だったのに。ゲーム界は大切な人材を失った。

 

・まだまだゲーム業界には岩田さんが必要なのに。

 

・ゲーム史の中で、これほど悲しい日はない。

 

・任天堂のYoutubeチャンネルに岩田さんが出てくるのが本当に好きだった。

 

・任天堂にとって、そしてゲーム業界全体にとって大きな損失だ。本当に偉大な経営者だった。

 

・CEOとして素晴らしい人だった。任天堂の売上が落ちた後、2014年の給与を半分に減らしたんだよな。

・史上最も情熱に溢れるCEOだったな。

・日本中のCEOは岩田さんを見習うべき。

 

 

・ゲーム開発者から始まり、業界の指導者まで上り詰めた素晴らしい人材で、プログラマーとしても天才だった。岩田さんが居なければこの世に存在しなかったゲームがたくさんある。

 

・岩田さんが最後に公の場で発言したのが「E3」での謝罪になってしまった。

 任天堂の発表後、ネット上で批判や失望のコメントが相次ぎ、岩田聡社長は短文投稿サイト「ツイッター」で「さまざまな意見を真摯(しんし)に受け止め、より多くのみなさまのご期待にお応えできるように努めていきたいと思います」と反省の弁を述べることになった。

6月26日の株主総会でも、株主から「E3で発表したソフトが少ない」と指摘され、岩田社長は「ファンをがっかりさせたことは承知している。発売の近いタイトルに発表を絞ってしまった」などと釈明した。

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・最後に『スプラトゥーン』が大ヒットしてよかった。

 

Splatoon(スプラトゥーン)

 

 

・僕の3DSにはずっと岩田さんのMiiがあるよ。

 

・岩田さんは任天堂に人生の多くの時間を注ぎ、ファンを幸せにしてくれた。

 

・何年にもわたって何百万という人を楽しませてくれたんだよな。どうか安らかに眠ってほしい。

・何億だろ。

 

 

・誰かが亡くなってWikipediaのページの「is」が「was」に変わるのって本当に悲しいんだよな。

 

・たくさんの思い出をありがとう。

 

・岩田さんがHAL研究所時代に開発したソフトのいくつかは僕のお気に入りだよ。岩田さんはいったい何人の人々の心を動かしたんだろうか。

 

・「立場は社長でも、頭はゲーム開発者であり、心はゲーマー」―岩田さんが2005年のGame Developers Conferenceで言っていた。ご冥福をお祈りします。

 

・惜しい人をなくした。天国のキノコ王国でゆっくり休んでください。

任天堂の岩田聡社長が逝去

 

 

出典:Nintendo President Satoru Iwata Passes Away

 

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