杉原千畝氏の「命のビザ」がユネスコの記憶遺産の候補に…海外の反応

第二次世界大戦中、多くのユダヤ人を救った杉原千畝氏の「命のビザ」がユネスコの「記憶遺産」に推薦されることになりました。2017年の登録には他にも群馬県高崎市にある古代石碑「上野三碑」も候補に選ばれています。

最終候補に選ばれたのは、「杉原リスト 1940年、杉原千畝が避難民救済のため人道主義・博愛精神に基づき大量発給した日本通過ビザ発給の記録」。外務省が所蔵する2139人分の査証発給リストや外務省とのやり取りを示す公電、八百津町が所有する自筆のビザの記載があるパスポートのほか、NPO法人「杉原千畝命のビザ」が所有する自筆の手記などが対象となっている。

杉原千畝の「命のビザ」 記憶遺産の候補に
第2次大戦中に多くのユダヤ人を救った外交官として知られる故・杉原千畝の「命のビザ」が、世界各地に伝わる古文書などを保護するユネスコの「記憶遺産」に推薦されることになった。

杉原 千畝(すぎはら ちうね、1900年(明治33年)1月1日 – 1986年(昭和61年)7月31日)は、日本の官僚、外交官。
第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原は、ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情。1940年7月から8月にかけて、外務省からの訓令に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、およそ6,000人にのぼる避難民を救ったことで知られる。

杉原千畝 – Wikipedia

六千人の命のビザ杉原千畝

 

以下、海外の反応。

 

 

・素晴らしい。杉原千畝氏は記憶遺産にふさわしいよ。

 

・中国、韓国、北朝鮮は反対するんだろうな。英雄として認められるのに国籍は関係ないんだけどね。

 

・これは絶対に記憶遺産に登録するべき。あの恐ろしい戦争の中での数少ない人道主義的な行為にスポットを当てることになる。

 

・岐阜にある杉原千畝記念館に行ったことあるよ。

 

 

・第二次世界大戦ではいろんな国の人が亡くなってるのに、マスメディアやハリウッド映画はドイツだけを敵にして、ユダヤ人だけを被害者として扱って、アメリカ軍だけを英雄として描くんだよな。

 

・「樋口季一郎」でググッてみるといい。彼も東条英機の許可を得て多くのユダヤ人を救った人だ。

 

・東条英機はユダヤ人を満州に逃がす許可を出したんだよ。

1938年(昭和13年)3月、ユダヤ人18名がナチスの迫害下から逃れるため、ソ連〜満州国の国境沿いにある、シベリア鉄道・オトポール駅(現在のザバイカリスク駅)まで避難していた。しかし、彼らは亡命先に到達するために通らなければならない満州国の外交部が入国の許可を渋り、足止めされていた。樋口はこの惨状に見かねて、ユダヤ人に対し、直属の部下であった河村愛三少佐らとともに即日給食と衣類・燃料の配給、そして要救護者への加療を実施、更に膠着状態にあった出国斡旋、満州国内への入植斡旋、上海租界への移動の斡旋等を行った。

樋口季一郎 – Wikipedia

ユダヤ難民を救った男 樋口季一郎

 

 

・当時の政府からは非難されていたけど、ようやく英雄として認められるんだね。

 

・杉原千畝氏が生きていたときは政府から蔑まれていたんだよね。これでようやく彼も安らかに眠れるだろう。

 

・1937年に日本軍から中国の民間人を守ったジョン・ラーベも同じように評価してほしいな。

ジョン・ハインリヒ・デトレフ・ラーベ(John Heinrich Detlef Rabe, 1882年11月23日 – 1950年1月5日)は、ドイツ人商社員。シーメンス社の中国駐在員(のち中国支社総責任者)として約30年に渡って中国に滞在し、日中戦争の南京攻略戦時には民間人の保護活動に尽力した。国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)南京支部副支部長。南京安全区国際委員会委員長。

ジョン・ラーベ – Wikipedia

ジョン・ラーベ

 

 

・日本人が他のアジア人を救ったっていう話はないのか?

 

・同じようにユダヤ人を救った中国人がいたはずなんだけどな。なぜその人の名前が出てこないんだろう。

・その人の名前を推薦するのは中国政府の仕事だろ。

 

 

・人間の歴史で最も残酷な日々の中で、彼の行った人道主義的行為は尊敬に値する。

 

・ユネスコには是非、これを認めてほしい。

 

 

出典:Japan TodayFacebook


 

2015年12月5日に杉原千畝氏の映画が公開されるようです。

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